ようやく心が落ち着いてきましたので、この場を借りて僕にとっての志村けんさんについて書かせていただきます。
志村けんさんが亡くなったことで僕はこの数日深く悲しみ、同時に毎日「志村けん」関連の動画を鑑賞し泣いては笑ってを繰り返していました。
それほど僕を構築したお笑いの一角として大きな存在でした。
僕はお笑い芸人でもコメディアンでも何でもないですが「ギャグ漫画」という、人に笑ってもらうことを目指して描くものを作っています。思い出を含めて影響は計り知れません。
幼少期から「ドリフ大爆笑」「バカ殿様」「加トちゃんケンちゃん」「だいじょうぶだぁ」等々を観てきた世代です。志村けんの「全員集合」以降の全盛期を観ていました。
中学生くらいまでの笑いの大部分を「志村けん」という男が占めていました。
彼の出ているテレビを囲んだ一家団欒は祖父母との思い出、両親弟との思い出でもあります。
翌日学校に行けばみんなバカ殿の話をしていました。
髪は後ろで括っていて、おじさんなのに「ケンちゃんラーメン」とか売ってて、そのおまけも志村けんのキャラクター。
「コント」だけで老若男女に認められ、ウケたスーパースターでした。
両親も「全員集合」が好きで観ていたそうです。
世代を超えて活躍し続けることの凄さ。
「コント」をし続けることの凄さ。
笑いを生み続けることの凄さ。
大人になってからその格好良さに気付きました。
「ベタ」だなぁて思った時期もありましたが、思春期の僕は「そのベタをやり続ける」凄さを分かっていませんでした。
そういうものを超越して志村けんという存在、動き、喋り、すべてがある世代世代の笑いの「基礎」となっている気すらします。
3月30日の朝。
亡くなったというニュースを聞いたのは新婚旅行最終日の朝でした。前にいた若者数名がスマホを見て「志村けん死んだって!!!」と驚いた様子で声に出して言いました。
若い彼らもまた志村けんという大きな存在を知っていた証拠でした。
亡くなったと聞いた瞬間、隣にいた妻さんと僕はお互いの顔を同じタイミングでぎょっと見合わせました。
人は本当に驚いた時、漫画に出てくるような、志村けんがコントでするようなこんな行動をとるものなのだなぁという関心が瞬時に沸いたと共に、「じわっ」と悲しみが溢れてきました。外でしたので涙はこらえました。
思えばいかりや長介さんが亡くなった時僕はまだ中学3年生か高校1年生だったと思いますが、毎日のように幼少期からテレビや録画したビデオテープとかで観ていた人が亡くなるということを初めて体験し、泣きました。
テレビでましてやお笑いをやっている人が亡くなるのかぁ~と実感した時でもありました。そういう人はどこか漠然と「死なない」と思っていたのです。
しかし「漠然と死なない」と思うというのは、大人になるにつれて「死なないんだ」と確信に変わっていきました。【作品】や【思い出】は残ります。
人に忘れられない限り表現者は死なないのだと思います。
フジの志村けん追悼番組で高木ブーさんがおっしゃったことがそれを代弁してくれたと思います。
同番組で加藤茶さんが弔辞を読んでいる最中、後ろの志村さんの写真はひとみ婆さんの姿で「あんだってぇ??」でした。
僕にとって「大爆笑」のオープニングとエンディングに映るザ・ドリフターズはどんな戦隊ものよりもかっこいい5人の並びでした。あんなに明るくない顔をしていても(笑)
揃ったところで始めよう~♪揃ったところで始め~よ~う~♪
長年ずっと同じ映像だったのにあんなにワクワクするなんて・・・!!
(後年いかりやさん含めて最後に撮り直したオープニングもカッコイイ!)
本当は「だいじょうぶだぁ」って言って復活してくれる事を信じていました。
最後に、今月4月10日に心を込めて描きました。
たくさん笑わせてくれた日本一のコメディアン、否、変なおじさん!永遠に・・・!!!!
そして、ありがとうございました!!!!!
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